南無阿弥陀仏の意味とお唱えする宗派について
- 2024年10月09日
お葬式手配の「よりそうお葬式」
「南無阿弥陀仏」は阿弥陀如来への帰依を表し、浄土宗や浄土真宗で唱えられます。
浄土宗では救済を祈り、浄土真宗では阿弥陀仏の慈悲を重視します。一方、「南無妙法蓮華経」は日蓮宗で唱えられ、法華経を信仰の根本とします。各宗派の言葉には深い宗教的意義悲があります。
普段お経でよく聞かれるのは南無阿弥陀仏または南無妙法蓮華経ではないでしょうか。昔に比べて物があふれる現代では、宗教に対してのかかわりが薄くなったと言えるでしょう。
法要でお経本が配られ、それをお坊さんと一緒に唱えているだけで、意味は知らないという人も多いのではないでしょうか。本記事では南無阿弥陀仏とは何か、南無妙法蓮華経との違いは何か、宗派によっても違うのか、南無阿弥陀仏について詳しく解説します。
今よりさらに心を込めて念仏が唱えられるよう、南無阿弥陀仏の意味を理解し、お役立てて下さい。
南無阿弥陀仏の意味
仏教は、インドのお釈迦さまであるガウタマが仏という悟りを開くことから始まりました。インドの古代の言語であり、お経に使われたのがサンスクリット語です。
南無阿弥陀仏とは、そのサンスクリット語で意味を見ると理解できます。
まず南無の意味は「私は帰依(きえ)します」という意味になります。続いて、阿弥陀は「無量の命、果てのない光」を表す言葉の語幹であり、「我々には量り知ることができない」という意味になります。
仏はサンスクリット語のブッダを指し、全文では「我々には量り知ることができないブッダに帰依します」という意味になります。
より解りやすく言いますと、「我々はブッダにすがって全てをお任せします。私はブッダに心から従います。」という誓いの言葉になります。
以上のように南無阿弥陀仏とは阿弥陀仏に感謝を伝える言葉ですが、宗派によって使う意味が少し違ってきます。
浄土宗
浄土宗の場合は、感謝を伝えることで信仰が深まり、修行を行っていない一般の人でも極楽浄土に行けるという思想で念仏を唱えます。
南無阿弥陀仏と唱えれば唱えるほど仏の願いに近づき、平和な暮らしができると説いています。
浄土真宗
浄土真宗の場合は南無阿弥陀仏と唱えることで極楽に行けるわけではありません。絶対他力を説き、全てを阿弥陀仏に任せれば、その力によって苦しみの元となる無明の闇が破られることで幸せになれると説きました。
そして南無阿弥陀仏と唱えることは、無明の闇から救ってくれた阿弥陀仏に対して称えるお礼の言葉なのです。
南無阿弥陀仏とお唱えする宗派
宗派によって唱名が違います。唱名とは仏の名前を唱えることです。それぞれの宗派による唱名の違いは以下の通りです。
・南無阿弥陀仏・・・浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、天台宗
・南無釈迦無尼仏・・・臨済宗、曹洞宗
・南無妙法蓮華経・・・日蓮宗
・南無大師遍照金剛・・・真言宗
・南無毘盧舎那仏・・・律宗
・南無釈迦牟尼仏・・・黄檗宗
南無阿弥陀仏と唱える宗派は天台宗以外は浄土系の宗派です。唱える以外にもその言葉を表す方法があります。
仏壇用の掛け軸です。
一般的に春と秋のお彼岸、お盆、法要のときに南無阿弥陀仏の掛け軸を飾ります。
南無妙法蓮華経や南無釈迦無尼仏など、上記と同じで宗派によって掛け軸は異なるので飾る際は注意が必要です。
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違い
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違いは、宗派の違いです。宗派によって考え方が異なるために念仏の持つ意味も変わってきます。
浄土宗の南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏を唱える浄土宗は、法然上人により平安時代の終わりに開かれました。インドから中国を経て伝わった仏教では、苦しい修行をしてきた優れた人でないと救えないとされていました。
仏教は一般の民衆のものではなく、世の中が乱れ不安の中にいながらも仏に救いを求めることができなかったのです。
そこで法然上人が「南無阿弥陀仏と唱えるだけでよい。唱えることで阿弥陀仏の力によって救われる。」と説きました。
その後法然上人の弟子であった親鴛によって説かれた浄土真宗は、南無阿弥陀仏を唱えることが救われる道ではなく、阿弥陀仏の力によって救われる絶対他力を説きました。
また、親鴛は南無阿弥陀仏を「なもあびだぶつ」と発音していたことから、「なまんだぶ」や「なんまいだ」と唱えられるようにもなりました。
念仏を唱える際の考え方に違いはありますが、浄土宗でも浄土真宗でも共通することは、南無阿弥陀仏は阿弥陀仏に対する感謝を唱える念仏ということです。
日蓮宗の南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経は日蓮宗で唱えられます。鎌倉時代に日蓮が比叡山での修行によって、法華経が世の中を救うと悟りました。
法華経とは全てのお経が含まれ、お釈迦さまの本当の心があらわされているお経とされています。
日蓮宗が説く法華経は、「生きとし生けるもの」すべてが仏になれると説いています。
人の心の中には善と悪があり、それらが互いに関わり合っています。悪いことはせずに善いことをし、仏の心を大きくすることで仏になれるとされているのです。
そして、仏となった全てのものに感謝し、手を合わせることが南無妙法蓮華経なのです。「南無」は南無阿弥陀仏と同じで、ゆだねて信じることです。
妙法蓮華経とは法華経の教えです。法華経の教えに帰依をするという意味で、お釈迦様の功徳の全てが備わる法華経の教えを信じて従いますという意味になるのです。
まとめ
法事や法要は、頻繁にあるものではありません。そのため準備やマナーがよくわからない場合も多いでしょう。
しかし法事や法要といった厳かな儀式で、失礼があってはいけません。突然やってくる万が一の場合に備え、故人にも、残された遺族にも不快な思いをさせないよう、最低限のマナーは押さえておくようにしましょう。
南無阿弥陀仏の意味とお唱えする宗派に関するよくある質問
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監修者のコメント
岩田 昌幸一般社団法人 葬送儀礼マナー普及協会
南無はサンスクリット語のnamasを音写したもので、一般的に「帰依する」と訳され、南無阿弥陀仏を念仏といいます。無量寿経をはじめとする浄土教店では、阿弥陀仏を念仏することにより極楽浄土に往生できると説かれています。