「X JAPAN」hideさんの葬儀の形 |ファン5万人の参列、マナーが称賛
- 2022年03月24日
お葬式手配の「よりそうお葬式」
1998年5月2日に33歳の若さで急逝したロックバンド「X JAPAN」のギタリスト、hideさん。
1998年5月5日に東京・築地本願寺で親交のあった方々で密葬が行われた後、5月7日にファンの献花もできる告別式が執り行われました。
告別式には約5万人のファンが訪れ、その当時の芸能史上最多の参列者数や、整然として並びゴミを拾い集めるファンの様子が話題となりました。
この記事ではhideさんの告別式についてご紹介します。
目次
hideさんのプロフィール
hide(ヒデ)さん
本名:松本 秀人(まつもと ひでと)
1964年12月13日生まれ。神奈川県横須賀市出身。
ミュージシャン、ギタリスト、歌手、プロデューサー。
来歴
1987年から1997年までX JAPAN(旧名:X)のギタリストとしてHIDE名義で活動。
1989年にアルバム『BLUE BLOOD』でXのメンバーとしてメジャーデビュー。
1993年より、hide名義でソロ活動も開始し、1996年にはレコードレーベル「LEMONed」(レモネード)を設立。
1997年のX JAPAN解散後はhide with Spread Beaver及びzilchでの活動を開始。
1998年5月2日に急逝。享年33歳。
多くの人がhideさんを偲ぶ、5月2日の命日
1998年5月2日に急逝したhideさん。
今でも命日である5月2日やその前後には、ファンによる偲ぶ会や関連イベントが各地で開催されています。
また、YOSHIKIさんやTOSHIさんなど「X JAPAN」のメンバーや、親交のあった多くのミュージシャンらもSNSへhideさんを偲ぶメッセージを寄せています。
YOSHIKIさん「I miss you every day…」
2019年5月2日、YOSHIKIさんは自身のインスタグラムで生前のhideさんの映像と、自身がピアノ演奏した楽曲「HURRY GO ROUND」の映像、そして次のメッセージを投稿していました。
彼が夢見た世界を掴むまで俺は諦めない。
I miss you every day…」
hideさんの母からファンへのメッセージ
命日の少し前の2019年4月11日に、hideさんの公式ツイッターでhideさんの母親からファンへのメッセージも投稿されました。
もしもお花をお持ちいただける際は、どうぞ高価な花束ではなく、お気持ちのこもった1輪のお花をお持ちください。
皆様の優しい想いはきっとhideに届いています」
hideさんを送った密葬
世間に衝撃を与えた突然の訃報
1998年5月1日の亡くなる前夜、スタッフらと飲みに出かけていたというhideさん。
死の何の前触れもなく翌5月2日に急逝したため、hideさんの訃報は世間に衝撃を与えました。
X JAPANのギタリストHIDEであり、ソロアーティスト(hide with Spread Beaver、zilch)としても絶頂の人気を博しており、多くのファンにとっても辛い別れとなりました。
築地本願寺での「密葬」
翌5月3日、hideさんのご遺体は東京の築地本願寺に移され、5月5日にはご遺族や親族の方々、バンド仲間ら約500人、所属事務所やレコード会社等のスタッフなどだけが参列する「密葬」が執り行われました。
しかし、集まったファンらのためにあらためて5月6日(お通夜)、5月7日(葬儀・告別式)を行い、ファンによる献花ができることが決まりました。
約5万人が参列したhideさんの告別式
1998年5月7日のhideさんの告別式には、約5万人が集まり献花を行いました。
これは当時の著名人史上最高の参列者で美空ひばりさんの葬儀(約4万2千人)の参列者数を上回る人数でした。
献花に訪れていた約5万人のファンは、築地本願寺から隅田川にそって、約2kmもの長い列をなしていたそうです。
YOSHIKIさんの弔辞
祭壇にはhideさんが愛用するギターが22本が並べられていました。
棺のなかでhideさんは迷彩服を着て、ピンクの髪も美しくセットされていたそうです。
弔辞はYOSHIKIさん。
「どうして俺たちを残して逝ってしまったんだ。」と死を受け入れられない気持ちと「メンバーは一生、何があってもX-JAPANに変わりない。」との言葉をhideさんへおくりました。
Toshiさんの献歌「ForeverLove」
YOSHKIさんのピアノ演奏で、Toshiさんが左手に念珠を握りしめてX-JAPANのバラード楽曲「ForeverLove」を歌い捧げました。
PATAさんとHEATHさんはそれぞれギターとベースを手に持ち、同じステージにいました。
ファンの参列マナーが話題となったhideさん告別式
イベントでのファンの掃除マナーの原点?
近年では、ラグビーワールドカップをはじめ、様々なイベントでの日本人ファンによるゴミ拾いが話題になります。
こうした行動の原点がhideさんの葬儀での、ファンの掃除マナーにあるのではないか、というのが一つの定説のように言われています。
約5万人という告別式参列者
インターネットはあれども、スマートフォン・SNSが今ほど普及していない20年以上前の、約5万人という告別式参列者数は、驚異的といわざるを得ません。
多くの人々を惹きつけるhideさんの存在の大きさと凄さ、影響力となって人々が集った形です。
次第に団結していったファン
hideさんの葬儀の準備段階では、会場となる築地本願寺に500人以上のファンが詰めかけ、警備員と小競り合いになるなど大混乱を見せていたといいます。
しかし、あるファンが「私たちがこんなことでは、hideが恥ずかしい思いをする」と声をあげ、あっという間にファンが互いに呼び掛け合って整然と列をつくり「近隣に迷惑をかけない」ことで団結したそうです。
hideさん自身が綺麗好きだったらしいこともあり、「ゴミはありませんか」集める人たちや、ほうきとチリトリを持ってたばこの吸い殻を掃除する人の姿も見られました。
天声人語が伝えた、ファンたちの敬虔さ
hideさんの告別式に整然と参列しながらゴミを拾い、掃除するファンたちの様子は、
1998年5月8日、hideさんの葬儀翌日の朝日新聞の天声人語によって日本中に伝えられました。
(一部抜粋)
「本願寺でこれほど参列者の多い葬儀は記憶に無い。
出棺の時間帯に再度、すべてが終わった夕刻(献花はまだ続いていたが)にもう一度、出かけた。
総合して、強く印象づけられたのは、この日の若者達の敬虔さだ。
何時間も押し黙り、整然と並んでいた。故人を悼む気持ちがあふれていた。
葬儀なのだから当然と言えば当然。
しかし当然でない、義理だけの葬儀が多い事は、だれもが感じている。
私にはhideの音楽はわからないけれど、これらの若者にとって、とても大事な人だったのだろう。
若者たちはまた、だれが言い出すまでもなくゴミ袋を持ち寄って、吸い殻を拾い缶を集め、きれいに行列の後片づけをした。
あちこちに整然と袋が積み上げられた。
当然の、すてきな光景。
大喧噪は無かった。
いい葬式だった。」
事故だったhideさんの最期
hideさんは、1998年5月1日の亡くなる前夜にスタッフらと飲みに出かけ、泥酔した状態で、寝室のドアノブにタオルをかけた状態で発見されました。
救急搬送されたものの、搬送先の病院で亡くなられました。
享年33歳、人気絶頂期での突然の訃報でした。
YOSHIKIさんはLAから緊急帰国
亡くなった当日、hideさんのご遺体とは親族や元XメンバーのToshiやPATA、HEATHさんが対面したそうです。
YOSHIKIさんはロサンゼルスにいて、翌日に緊急帰国し、ご遺体が移された東京・築地本願寺で対面しました。
事故死だったhideさん
死因に至る状況から、当時は自殺と報道するメディアもありました。
しかし、遺書がなく、自殺の兆候もなかったことなどから、現在ではhideの親しい人たちをはじめ「自身による首や肩への整体施術からの事故死」だったといわれています。
死は誰しもいずれは訪れるものではありますが、才能ある音楽家としても、あまりにも早いお別れとなりました。
「X JAPAN」hideさんの葬儀・お別れの形
hideさんのファンの髪色や髪型、独特の黒ファッションでの参列を当初は「奇抜」と称していたマスコミ各社も、大勢のファンが整然と列をなしてゴミを拾い、掃除をする姿に次第に敬意を抱くようになったそうです。
その敬意が社会へ伝わり、大きなインパクトを与えて今のファンのごみ拾いマナーへと繋がっているともいえます。
人生のゴールを考える:終活のすすめ
著名人のお別れの形をロールモデルとして様々紹介していますが、
死はいずれ誰しもに訪れることです。
ご自身や家族が突然のお別れになってしまわないとも限りません。
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